ノエル・ホーザ | リオが生んだ伝説の詩人 永遠に愛され続けるおすすめ 名曲の数々をご紹介する

 

ノエル・ホーザ(Noel Rosa)

 

 ブラジル人が今もなお愛し続ける偉大な作曲家

 

 

今回登場するアーティストは1929年から1937年にかけて250曲以上の作品を残し、今日のMPBトップアーティスト達によって引き継がれている。

 

27歳の若さでこの世を去った元祖MPBのシンガー・ソングライター
ノエル・ホーザ」(Noel Rosa)をご紹介しよう。

 

 

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ノエル・ホーザとの出会い

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Conversa de Botequim - Dori Caymmi & Gal Costa

 

2001年に制作されたドリ・カイミのアルバムから1曲目に収録されている「Conversa de Botequim」(居酒屋の会話)をご紹介した。相変わらずドリ・カイミのハイセンスなアレンジメントには感心するが、それとは対照的に流れる旋律は何とも味わい深いヨーロッパ調のノスタルジーを感じさせる。誰の曲だろうと思いライナーノーツを見てみると「Noel Rosa」? 聴き慣れない名前がクレジットされていたが、その時はサラッと通り過ぎてしまった。

 

その後2005年頃だったと記憶している。当時は別ページでもご紹介したギターリスト「マルコス・テイシェイラ」(Marcus Teixeira)を追っかけていた頃。彼がバックを務めるガル・コスタの新譜「Our Moments」が発売されたとあって早速購入してみた。
マルコス・テイシェイラの記事はこちら

 

想像していた以上の出来栄えで機嫌良く聴き入っていたせいか、あっという間に最後の曲に差し掛かった。始まった曲はショーロ風のノリノリのサンバだった。次々と曲が変わるのでサンバ・メドレーだなと思いながら聴き続けたが、とにかくこれが最高に素晴らしかった。

 

何度もリピートしながらライナーノーツを眺めてみると「O Orvalho Vem Caindo」, 「Fita Amarela」, 「Ate Amanha」, 「Palpite infeliz」という曲名が並んでいた。作曲者に目をやると何と驚く事に、全てノエル・ホーザの名がクレジットされていた。百聞は一見にしかず そのテイクをご紹介しよう。

 

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Gal Costa - O Orvalho Vem Caindo, Fita Amarela, Ate Amanha, Palpite infeliz

 

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これが、本気でハマってみようと思う切っ掛けとなった。

 


アルバム:「Our moments」

 

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暫くノエル・ホーザの追っかけに変身した私は生涯の宝とも言える
アルバムに出会う。

 

リンスが97年にリリースしたアルバム「CANTA NOEL ROSA」だ。
既にご紹介した曲も収録されている。

 

このアルバムは輸入盤しか手に入らないと思うが、MPBファンに限らず音楽ファン必聴のアルバム。ご紹介しよう。

 

イヴァン・リンスが歌う ノエル・ホーザの "Conversa de Botequim "

如何にもイヴァン・リンスらしい都会的なアレンジにクラシカルな
ショーロをブレンドした逸品。

 

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Conversa De Botequim - Ivan Lins

 

イヴァン・リンスが歌う ノエル・ホーザの "Ate Amanha "

イヴァン・リンスの後に登場するのは、エミリオ・サンチアゴ。

 

検索キーワード:
Ate Amanha - Ivan Lins (Part.Especial Emilio Santiago)

 

イヴァン・リンスが歌う ノエル・ホーザの "Palpite Infeliz"

100年経って聴いても、新鮮そのものです。

 

検索キーワード:
Palpite Infeliz - Ivan Lins

 


アルバム : 「CANTA NOEL ROSA」

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ノエル・ホーザのプロフィール

 

ポルトガル語のウィキペディアから、彼のプロフィールを要約してみた。

 

ノエル・デ・メデイロスロサは1910年リオ・デ・ジャネイロに生まれている。難産であり、また生まつき顎の障害を抱えていた。可能性としてはピエール・ロバン症候群であったかも知れないと言われている。

 

商人の父、教育者の母をもつ当時としては中産階級の家庭の長男として生まれた。カトリック系の聖ベネディクト会系の大学に進み研究に従事したが、彼が高い知性をもっているにも関わらず評価されることは無かった。

 

10代の頃は母に与えらえたマンドリンを独学で学び、その後ギターを購入すると放浪的な生活を始めている。21歳のころカトリック系聖ベネディクト会の医学部に入学するものの、彼にとってはサンバやビールの方がとても魅力的に感じていたという。

 

その後19才の頃から付き合っていた音楽仲間たちと飲み屋で交流を深め、作曲活動に没頭するようになった。1929年、19歳の時に処女作「Minha Viola」(私のギター),「Festa no ceu」(空のパーティー)を発表した。

 

ノエルは24才の時17歳の隣人の女性と結婚したが結婚後も多くの女性と関係をもっていた。20歳の頃に結核に感染し、その後も音楽活動を続けるものの1937年重篤な状態に陥り26歳でこの世を去っている。

 

彼はこの7年間という短い音楽生活の中で250以上の曲を発表している。

 

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ノエル・ホーザの功績

 

1920年の時代に量産されたノエル・ホーザの作品はその時代から想像出来ないほど音楽的に完成されており、その良質でコンテンポラリーなメロディーは現代においても全く違和感を感じさせない。

 

素晴らしい事に、現代のブラジルのアーティスト達はノエルの高い音楽性を見抜き、姿形を変え今日まで継承し続けている。私が知る限りでも、ジョアン・ジルベルトを始めとする、アントニオ・カルロス・ジョビン、イヴァン・リンス、ジャヴァン、ホーザ・パソス、ガル・コスタ、ジルベルト・ジル、ジョアン・ボスコ、カエターノ、レイラ・ピニェイロ といったMPBを代表するビッグネームが取り上げ、大衆がそれを支持している。

 

ノエルの作品に限らず、彼の音楽的なエッセンスが今日のMPBに与えた影響は大きい。アントニオ・カルロス・ジョビンと並ぶブラジル・ポップ・ミュージックの偉大な立役者と言えるだろう。

 

おすすめの映像

 

最後に本家本元のノエル・ホーザの歴史的 音源とエリス・レジーナを始めとするMPBアーティスト達のノエルのカバーをご紹介する。

ノエル・ホーザのオリジナル「居酒屋の会話」


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Noel Rosa - Conversa de Botequim (Gravacao Original)



マリア・ヒータが歌う「居酒屋の会話」

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Maria Rita - Conversa de Botequim

ヤマンドウ・コスタの「居酒屋の会話」

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Conversa de Botequim | Yamandu Costa e Ricardo Herz SESC

Ultimo Desejo Gal Costa & Marco Pereira

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Ultimo Desejo - Gal Costa e Marco Pereira

 

最後に

 

彼の業績、生い立ちや型破りな人生を振り返ってみると、
天才が持つ共通の資質が見えてくる。

 

それは凡人が口にする"努力"や"修練"といったレベルではなく、
世俗を超越した"音楽への情熱"に他ならない。

 

因みに、インターネットなどという聞いた事もないメディアによって、
自分の作品が取りざたされている事を天国にいるノエル・ホーザが
知ったら、さぞかしビックリするだろう。

 

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